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【コラム】ウォーキングとの出会い

はじめましてYuko Chanです。 ウォーキング歴25年 その中で、学んだことや体験したこと 全3回に分けて、シンガポールからお届けします。 ・幼い頃から100回以上も劇団や事務所に応募→不合格 ・思春期に→10キロの体重増 ・ミスユニバースに出場→低学歴&英語が話せないため優勝候補外 ・海外でモデルを目指す→身長が足りず門前払い ・ミセスシンガポールに挑戦→国籍が無いので優勝圏外 そんな私が… ▶︎10キロのダイエットに成功 ▶︎ミスユニバースジャパン ▶︎パリコレ他、世界11ヵ国でモデル ▶︎ミセスシンガポール ▶︎40代で現役モデル 夢を叶えられたのは ”ウォーキングの力″ 「歩き方を変えるだけで美しく!」 「歩くだけで元気に!」 Walk with Me!!

【夢を叶えたい!→落選100回】

幼い頃から、モデルや女優に憧れていました。 鏡の前でポーズをしたり、歌ったり、お芝居したり。 幼稚園や学校でも、とにかく人前に立って発表することが大好き。 (写真 : 七五三。モデル気分でポーズしています)


お小遣いで履歴書や使い捨てカメラを買っては、新聞広告で見つけた児童劇団に応募していました。ドキドキしながら、ポストを開ける ♪ ……けれど、合格通知は届きません。 小学校高学年になって、ファッション誌の専属モデルにも応募しましたが…… すべて落選。(写真 : 当時の応募写真)


【高校中退→夢の挫折】

16歳の時、モデルスクールに入学するため、 夏休みを返上して必死にアルバイトをして40万円を貯めました。 しかし、スクールには入れましたが、事務所に所属させてもらうことはできませんでした……。 しかも、直前の交通事故で、膝を怪我していたので、ウォーキングレッスンを受けることもできませんでした。 (写真;モデルスクールで初めて撮影した写真)


それでも諦めずに、モデル事務所に写真を送り続けました。そして遂に!初めて、あるモデル事務所から面接に呼ばれました。期待に胸を膨らませて会った事務所の社長に言われたのは…… 「君は絶対にモデルになれない」 悲しくて、悔しくて…… 泣きながら帰りました(この日の日記は、今も残っています)。 その後、留学を決意して高校を中退。 アルバイトを4つ掛け持ちし、早朝から深夜まで働いて、1年半で目標額の500万円を達成!「いざ、海外へ!」と思ったその時。本屋で目に止まったのは……

【夢を諦めない→再挑戦!】

〝オーデション誌″ 「やっぱり諦められない!」目に止まったのは、下着メーカーのイメージガールの公募。 ・〝賞金100万円″→留学生活の足しになる ・〝ViViの編集長が審査員″→1番好きな雑誌 「運命っ!」すぐに応募しました。 奇跡が起きました。 『2次審査のご案内 』「やったーーーっ!」 そして……『3次審査のご案内』 本当に夢のようでした。 夢の階段を一歩ずつ上がっている! そう思ったのも束の間…… ▶︎年間100日の拘束。(予定は未定) ▶︎地方での仕事は、その前後の滞在日も別途必要。 ▶︎給与は無し(賞金の100万円のみ) 個人面接で聞かされた現実。 「予定がわからなければ、アルバイトもできない」自分で生活費を捻出しなければならなかった私には無理難題でした…… 落ち込んで、会場を出た私に……

【亡き母の夢・ミスユニバースとの出会い】

「こんにちは!」 声をかけてくれたのは、アフロヘアのお姉さん。 他の候補者の付添で来ていた、モデル事務所のマネージャーさんでした。 「え?」(ま、まさか?ス、スカウトーーーーーっ!?)興奮&パニック。涙が出るほど嬉しかったです。 数日して、電話が鳴りました。 「ねえ、ミスユニバースって知ってる? 興味があるなら紹介するよ」 ……亡き母から聞いたことがありました。 「お母さんも、身体が丈夫だったら挑戦してみたかったなぁ…」テレビを観て、淋しそうに呟いていた姿を思い出しました。 ▶︎家柄→庶民 ▶︎高校中退! ▶︎英語ゼロ! ▶︎体重60キロ超え 優勝を狙えるはずがない! 自他共に分かりきっていたけれど、全く気になりませんでした。「夢だったモデルや女優への登竜門」とは考えていなかったからです。 〝母の夢を、私が挑戦する!″ 〝母がくれた夢の舞台″ そんな気持ちでいっぱいでした。 だから、大会に出られるだけだ本当に幸せでした。そして、人生で初めて、ウォーキングレッスンを受けます。 その”ウォーキング”が、私の『一生涯の武器』になるとは、この時は考えてもみませんでした。 (写真 : ミスユニバースのプログラム用に撮影した写真、母のセーターを着用))


=はじめの一歩=